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2007年10月18日

なぜ日本人はキツネにだまされなくなったのか

 キツネのにだまされた、という話は昔は良く語られた話である。
 キツネにだまされたという体験談は、ある頃を境に突然聞かれなくなったのだとか。

 昨日は、掛川ライフスタイルデザインカレッジの10月のフォーラム。
 哲学者、内山節氏をお迎えしての
『私を変えた1960年代 ~浮遊する個人~』
という講演。
 内山節氏によると1965年を境に、日本人はキツネにだまされなくなったのだとか。

 内山節氏は内山節 - Wikipediaにあるように、東京都世田谷区出身。NPO法人森づくりフォーラム代表理事で、大学の職につかない在野の哲学者として活動していたことで有名だったが、2004年より、立教大学大学院 異文化コミュニケーション研究科 異文化コミュニケーション専攻 教授。
 1970年代に渓流釣りなどの縁から群馬県上野村に住み、上野村の半村民として自ら畑を耕し、森を歩く暮らしをしている方。
 専門は存在論、労働論、自然哲学、時間論など。
 主な著書には
「里」という思想 (新潮選書)
戦争という仕事
哲学の冒険―生きることの意味を探して (平凡社ライブラリー (294))
貨幣の思想史―お金について考えた人びと (新潮選書)
「創造的である」ということ〈上〉農の営みから (人間選書)
「創造的である」ということ〈下〉地域の作法から (人間選書)
 それから1997年に掛川市で開かれた三人委員会「夏のセミナー」で討論された事をもとに書き下ろされた論文集 ローカルな思想を創る―脱世界思想の方法 (人間選書)などの著者である。

 私自身は1964年生まれで、キツネにだまされたという話は全くの昔話だという認識だったのだが、私が産まれた頃まではキツネにだまされる人はごく普通にいたのだとか。
 内山氏が、キツネにだまされなくなった理由の諸説を調べると
・高度成長と「経済的人間」の誕生
・科学の時代と合理的な思考
・電話・テレビの普及と「情報の変化
・進学率の向上と「学ぶことの変化
・森林の変化・キツネの変化
などが揚げられた。

 話を聞いて自分としては、そのころを境に日本人の多様性(キツネにだまされる人もいるような)が無くなり単一化したために、キツネにだまされる日本人がいなくなってしまったのかと思う。

 キツネにだまされていた頃、確かにキツネにだまされるというのはあまりよいことではないのだが、その時代の父や祖父。
 キツネにだまされなくなった時代の自分。
 さて、どちらの方が幸福なのかと考えると、いろいろ考えさせられる講演だった。

 公演後懇親会場において、内山氏が「1960年代というのは日本人の精神史においてかつて無い大変革の時代だったと思います」というのが妙に納得できた。

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タグ :slowlife掛川

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