ネットというのを教えてもらったのは
先日、
[M]さよなら「パソコン通信」という記事を書いたのだが、その反応にビックリ。
そのコメント欄で「私もパソコン通信やってましたよ」という反応があったり、
ぷらっとほーむ時々コンサル:やっぱりB型なのか!で始まった、
ぷらっとほーむ時々コンサルの右上のアンケート結果を見ても、意外とパソコン通信をやっていた人が多かったり、
なんちゃんのページ:パソコン通信とか、
ファイナンシャルインテリジェンス:パソコン通信のお話しとかの記事があがってきたり。
自分が想像していた以上に、昔パソコン通信をやっていた人が多いみたい。
先の記事で触れたのだけれども、自分のネットの原点はパソコン通信。
けっこうROMっていたことが多かったのだけれど、ピーヒャラヒャラヒャラでつないだパソコン通信、流れる文字を読めるほど遅かった速度でも、確かにその先には、血の通った人がいるのを実感できた。
ハンドルネームという匿名の世界でも、書くときは相手を考えて「こう書いたらまずいかな、こう書いたら別の意味で受け取られてしまうかな」とか、レスがあったときには「こういう意味かな、ああいう意味かな」と悩んだり。
そこでけっこうネットリテラシー(ネット上の、読み書きそろばんみたいなもの)を教えられた気がする。
でも、インターネットの時代になってとっても便利になったのだけれど、どうも相手先の存在というのがはっきりしなくなってきたし、自分自身もネット上でははっきりしなくなってきたような気がする。
ネット上では何者にでもなれるのだけれども、何者でもないような。
たとえ実名や詳細なプロフィールを出しても、ネットの世界ではそれが本当かウソか確認できる場合は少なくて、結局匿名とあまり変わらない。
匿名は匿名で良いところはあるのだけれど、よりいっそう責任が無くなって好き勝手なことをネット上で書き捨ててみたりする場合も多々見受けられる。
それが結局「ネットっておっかない」という意識につながってきているわけで。
ネットというのは誰が誰かわかりにくい。
だったら好き勝手書いちゃえ、とか、偉そうに書いたもの勝ち、みたいな物もあるんだけど、でもそれというのは、そのうち他の人にもばれてしまう。
ウソをついている人、自分を実際以上に見せかけようとしている人。
多分それを見抜くことができるというのが、ネットリテラシーという物だと思うし、自分自身は多分それを、パソコン通信で教えてもらったような気がする。
で、それをブログ村やはまぞうブログで再確認しているところかな。
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